まだまだカバー曲を考える

最近お気に入りのアルバムが、尾崎豊のトリビュートアルバム「BLUE~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI」。今年十三回忌となる彼の楽曲を、12組のアーティストがカバーしています。それぞれに持ち味を出して、確かに尾崎の曲なんだけど彼ら自身の曲そのもの…というパフォーマンスで聴かせてくれます。

収録曲の中で結構ウケたのが、175R(いなごらいだー;知らなきゃ絶対読めねぇぜ)の「十七歳の地図」。どう聴いても彼らの曲にしか聞こえません…って、ヤツらも芸風が強烈ですからね。他には岡村靖幸がちょっと懐かしいあの妖しさで歌う「太陽の破片」。槇原敬之の「Forget-me-not」には感動のあまり涙が出てきます。まあ、これにはちょっとひいき目が入ってる気もしますが。

しかし、最後に収録されていた「15の夜」にはちょっと首を傾げてしまいました。タイトルと同じ15歳になる彼の息子が、英語のイメージポエムを朗読するんですが…。私にとっても尾崎豊は影響を受けたアーティストの一人ではありますが、それでも血の繋がりにノスタルジーを感じるまでの思い入れはない、ということなのでしょうか。


相変わらず、カバー曲を聴く機会が多いです。最近で驚いたのはパンクな「なごり雪」でしょうか。同じくパンクな「贈る言葉」が出たときにもかなり驚きました。カバーしているバンドの諸君は原曲やその作者に敬意を払っていると信じたいんですが、どうもそう思えなくなってしまうのはあの曲調が災いしているのかも知れません。ともかく、原曲とは全く違う彼らなりの世界で、楽曲を解釈し直していることは間違いありません。意外性の楽しさという面ではまさにカバーの醍醐味ではあります。

そんな中で、先月カバー曲に関して気になるニュースがありました。カバー曲に作曲者からクレームが付いて、結局カバーした側がシングルとアルバムを自主的に販売停止にしました。カバーされた曲は「大地讃頌(だいちさんしょう)」。漢字が難しいタイトルですが、意外に若い人たちには馴染みのある曲のはずです。中学校や高校でよく歌われる混声合唱曲ですね。

【CD「日本合唱名曲選(水のいのち・大地讃頌)」】

私も学級対抗の合唱コンクールで歌ったことがありますが、とても思い出深い曲です。この曲は本来管弦楽曲なんですが、学校ではたいていピアノ伴奏で歌われます。普通は合唱曲のピアノ伴奏は裏方そのものなんですが、この曲にはピアノが長い間奏を弾く部分があって、その間ピアノは主役になります。電子オルガンと共に歩いてきた私が「ピアノってカッコいいな」と思ったルーツが、中学生の頃に聴いたこの曲でした。伴奏の子から譜面をもらって、独学で練習しました…難しくてまともに弾けませんでしたけどね。もちろん、本格的な混声四部合唱の重厚なアレンジも印象的です。中高生にとってはとても難しい曲だと思いますが。

そんな曲をカバーしたのが、ジャズ系のインストバンド「PE’Z」の面々。彼らの存在はこの「大地讃頌」で初めて知りました。というよりも、このジャズアレンジ版「大地讃頌」を初めて聴いたのは飲食店の有線放送で、聞き覚えのあるメロディーにはっとして食事もそっちのけで耳を傾けました。大胆ではありましたが、原曲の雰囲気も大事にしたセンスの良いアレンジでした。どんなヤツらが演奏してるんだろう?と思ったわけです。


ところが、作曲者の佐藤眞氏は「編曲権及び同一性保持権を侵害している」としてこの「PE’Z版大地讃頌」の販売停止を求めました。もう少し平たく言えば、自分の作品が勝手に他人に編曲されて別のものにされてしまった…と主張したわけです。カバーというのはコピーとは違いますから、当然演奏者の意志が反映される形で編曲が行われ、原曲からは多かれ少なかれ違ったものになります。佐藤氏の論法で行くと、おそらく「カバー曲は全て認められない」と言うことになるのではないでしょうか。

さらに、佐藤氏はCDだけでなくライブでの演奏も認めないと主張したそうです。アドリブを大事にし、譜面すら使わないこともあるジャズミュージシャンに「同一性保持」を要求するのは確かに無茶ではありますが。

自分で作曲も編曲もする私の立場から言うなら、編曲したい気持ちが起きるのは原曲のことが好きだからです。立場をひっくり返せば、自分の作った曲が他の人に編曲されるのは、編曲者に気に入ってもらえた証拠であり、喜ぶべきことです。それも、全く違うジャンルから注目されるのは、より広い音楽の世界で認められたことになりますよね。佐藤氏のご立腹な訳が全く理解できません。むしろ逆に喜んだり自慢したりできる要素だと思うんですが。

もう一つ不思議なのは、どうしてCDが発売される前に話が通っていなかったのだろうか?ということ。日本では日本音楽著作権協会(JASRAC)が著作権を一括管理しているわけですが、JASRACは著作物の公開や録音を管理しているだけで、編曲を許可する立場にはありません。この場合直接佐藤氏から許可を得るべきだったということになります。原曲に敬意を払った上でのカバーなんですから、話し合えばきっとわかり合えたはずです。話がこんな風にこじれてしまったのはもったいなかった気がします。


カバー曲と言えば、もう一つ最近気になったのが平原綾香の「Jupiter」。この曲の元になっているのは、イギリスの作曲家・ホルストが20世紀初頭に作った組曲「惑星」中の「木星」ですよね。元々はオーケストラのために書かれた、いわゆるクラシックの範疇に入る曲で、かなり有名な曲ですからご存じの方も多いと思います。

個人的には、この曲に日本語の歌詞が付いてJ-POPの流儀で歌われていることに何となく違和感を感じながらも、既に著作権も切れているはず(日本では著作権は死後50年まで保護されるのが原則)だから問題ないのかな?程度に思っていたのですが、ネット上では激論が戦わされているようです。

ホルストも音楽作品の「同一性保持権」にこだわった人だったようで、「惑星」については「自分の死後100年間は変更は一切認めない」と遺言を残したのだとか。この遺言を世界中の人々が守るべきなのかどうかにもいろいろと意見があると思いますが、個人的には素晴らしい音楽作品が全くカバーされないままでいるのはもったいないような気がします。

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