先日、我が家のひとり娘は18歳の誕生日を迎えました。民法第4条では、「年齢十八歳をもって、成年とする。」となっています。成年になると、親の同意無しに、様々なことが個人の判断でできるようになります。多くの18歳はまだ高校生ですし、実際のところ、何ができるかの環境は人によって違うわけですが、ひとりの大人として日本の国から、社会から認められることになるわけです。
誕生日と言えば、やっぱりお祝いはケーキ!…ということになりますが、我が家ではホールのケーキを買ってもとても食べきれないので、めいめいに1カットずつのケーキを買ってきました。娘には、リクエストのあったイチゴのショートケーキを買ってきました。とはいえ、実は彼女はケーキの類いは全く食べないので、このケーキは後日私が美味しくいただいたのですが…。家族で「ハッピーバースデイ」の歌を歌ったときには、彼女は嬉しそうにしていました。
娘は、地元の特別支援学校に通っていて、高等部の3年生になります。重度の知的障害を伴う自閉症と診断されています。
言葉でのコミュニケーションは会得していないのですが、自閉症という言葉から受けるイメージとは反し、意思表示はむしろ人並みより多い方だと思います。そもそも全然「自ら閉ざしている」わけではなくて、表現の方法が違うだけなんですね。
私は未だに彼女とは上手く意思疎通できていない気がするのですが、学校での様子を聞くと先生方にも、友だちにも愛される存在らしく、結構上手くやっているようです。その割には、朝は学校に行きたくない!とごねることも多いのですが…やっぱり、何を考えているのかはよくわからないことが結構あります。
娘が生まれたときは、もちろん私も妻もとても喜んだわけですが、ブログなどでの発信については「子供の個人情報は親が守ろう」という方針で、名前や写真は載せないことに決めました。それでも、「パパのつぶやき」なんて新カテゴリーを作り、親バカな記事で埋め尽くされないか勝手にひとりで心配していました。
振り返ってみると、このカテゴリーで今のところ最新の記事は、娘と一緒に浜松シティマラソンに出場…しようとしたけれど、雨で娘の出場は断念したときの話でした。もう6年近く、何も書いていなかったんですね。
書かなくなった理由はハッキリしています。定型発達ではない娘の話を、そのことを隠しながら書くのは大変で、一方でオープンにしてしまうことが良いことなのか、迷いがあったからです。特に、まだ娘が小さい頃は、彼女が普通に社会生活ができるレベルまで成長できたときに、「どうしてこんなこと公開しちゃってるのよ」とか非難される可能性だって頭にありました。
妻の方は、娘の障害を明らかにした上で、そのことを素直に日々記録したブログを新しく立ち上げていました。私も同じようにする方法はあったのでしょうけれど、複数のブログで複数人格を転がすほど器用でもなく、どうしようかしら?といろいろ考えながら、今に至ります。こんな家庭環境だからこそ、話したいことは、いろいろあったのに。
障害を抱えた子供を外に連れ出すのは結構タイヘンです。身体障害者の場合はもちろんそうですが、ウチの娘の場合は、カラダは人並み以上に元気な上に、親には制御不能になることがあるので、これはこれで相当苦労します。
それでも、我が家では娘を連れて結構出掛けている方だと思います。彼女が週末はドライブに行きたがる…ということもあるのですが、娘を家から外に連れ出すことにはメリットが多いと考えています。
成年になったとは言え、ウチの娘には、ひとりでいろいろなことを決めて社会を歩くのは非常に困難です。今は私たち親が面倒を見ることが多いわけですが、いずれ社会に出ると、他人であるいろいろな方々の助けを借りなくてはなりません。私たち両親が娘を一生世話し続けることは、まず不可能ですしね。そう考えると、多くの人に触れる機会を作っておくことはとても大事です。
特に重要だと思っているのが、現在住んでいる家の近所に住んでいる方々。娘の存在を知っておいていただければ、災害発生などのいざという時に、頼ることができるかも知れません。ですから、近所の小学校には通わなかったけれど地元町内会の子ども会には入っていましたし、夏祭りのお囃子の練習に連れて行ったり、防災訓練にも連れて行ったり…と、機会を見ては娘の顔見せを試みました。仲良くお付き合いするレベルまではなかなか行けませんが、こんな人が住んでいるんだ…と認知くらいはしていただいているのではないかな?と思います。
最近は、学校でも個人情報の保護はデリケートな話題らしく、その割にはInstagramとかで情報発信もしていたりして、タイヘンだなぁ…と思います。学校からは、Instagramへの画像掲載の他、美術作品を校外に展示するときなどに名前を出してもイイですか?と確認されます。基本的に、娘の情報についてはオープンにしていただいて良い、と回答しています。コレは、顔見せというよりも、娘の存在証明を本人が発信できないなら、学校に是非お手伝いしていただきたいな…と思うところもありますが。
そうやって、娘をいろいろなところにお披露目する方向で日々を暮らしていたら、ココでだけ隠して、繕って、苦労して記事を整えるのが、何だか意味の無いことに思えてきました。とはいえ、長年続けてきたことではありますし、何かしらきっかけがないと踏ん切りが付けられないんだよなぁ…ということで、今日の記事に至っています。いざ書いてみると、何だかスッキリしました。
先にも書いたとおり、こんな家庭環境だからこそ思うことはいろいろありますし、得られたり集めたりした情報もあります。そうしたことは、また「パパのつぶやき」として発信したいと思っています。ボチボチ、お付き合いください。

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